2007年 02月 14日
駒場サッカー場 |
前回にひきつづき築地にちなんだ話をもうひとつ。
築地は「おすし屋さん」が多い。が残念ながら、昼飯ににぎり鮨という身分ではない。
ところで、にぎり鮨といえば「柳多留」の川柳に 「妖術という身で握る鮨の飯」 というのがある。この川柳は、手のひらと指先を器用に使ってにぎる鮨を妖術の「印」を結ぶ姿になぞらえて詠われている。鮨の歴史はかなり古く、「延喜式」にも書かれているというから平安時代にはもうあったようだ。しかしもともとのすしは魚の方に塩や酢をして、飯を自然発酵させて、できた乳酸の酸味で腐敗を抑える保存食の「馴れずし」が始まりだそうで、この種の鮨は今日でも琵琶湖の「鮒鮨」、和歌山の「鯖鮨」、大阪の「雀鮨」などがあるが、いずれも関西のものだ。
飯の方へ酢を混ぜる「早ずし」は江戸で元禄時代というからかなり新しい。「江戸自慢」のなかに「鮨は握りて、押したるは一切なし、調味よし、上方の及ぶところにあらず、価も賎し」とあり、いかにもにぎり鮨を江戸の自慢の種としていた。(「江戸ことば百話」西山松之助)
やはりにぎり鮨は江戸、そのなかでも鮮魚の本場「築地」が一番だろう。といってもまだ築地の鮨は食ったことがないのだが。
by hana-chans
| 2007-02-14 23:00